不登校だった弟に、兄は感謝しています。弟が美容師になるまでと、感謝された兄の行動

子育て

こんにちは、ものとです!

僕は現在30歳。そんな僕には2歳下の弟がいます。

弟は昔、不登校でした。

今よりも不登校への理解が少ない時代を生き抜いた弟。

今では美容師としてしっかりと働いています。

そんな弟、自分で稼げるようになるまで、色んな道を歩んできました。彼のこれまでの生き様を少しお話させてください。

大丈夫です。不登校は欠点じゃありません。僕は弟が不登校という道を貫いて生きてきたこと、誇りに思っています。

不登校だった弟の経歴

まず簡単に経歴からご紹介します。

一筋縄では行きませんし本人は苦しんだでしょうが、ゆっくり着実に歩んできました。

  • 小学校3年生。突然学校に行きたくなくなったと言い、不登校になる。
  • 小学校4年生。母の懸命な相談により、保健室登校が認められる。
  • 中学校3年生。登校再開することなく、義務教育を卒業する。
  • 15歳。通信制高校に入学。頑張って登校する日々。
  • 17歳。通信制高校に通うことが辛くなり、休学。
  • 19歳。2年間バイトをしたりしなかったりする中で美容師になることを決め、専門学校へ入学。
  • 22歳。専門学校を卒業。美容師見習いとして美容室に就職。
  • 〜現在。美容師として活躍中。

通信制高校に通うも休学、中退。

専門学校に通い直し、長い学生時代を過ごしました。

頑張った!

なぜ不登校になったのか

当時、本人は「なんで行きたくないのか分からない」と言っていました。

これを否定する根拠も理由もありません。そうだったんでしょう。

特にいじめられていたり、先生が苦手だったということではないようです。

後に彼は、場面緘黙、と診断されます。

とても人見知りを強くしたような状態になり、知らない場所や知らない人に関わろうとすると一言も言葉を発せられなくなってしまいます。

極度の人見知り。彼は今でも「店員に関わりなくないから本当ならコンビニも行きたくない」と言います。

不登校の時、何をしていたのか

親は大変だったでしょうが、兄の僕は、不登校の間の弟のしていたこと、素晴らしいと思っています。

大好きな漫画を読んでいました。

漫画が大好きで、イラストを描いていました。

漫画を描く道具をそろえて、漫画を描いてみていました。

音楽(J-pop)が好きで、ギターやキーボードの練習をしていました。

音楽が好きで、作詞作曲にチャレンジしていました。

すごくないですか?なんて多彩なチャレンジ!!

学校では絶対に出来ないし、学校に行っていたらこんな時間しっかり取るのは難しかったと思います!

(もちろん、すぐにたくさんチャレンジ、とは行きませんでした。何もしない時間もたくさんありました。)

そんな彼は今、趣味レベルですが、LINEスタンプを何個か作って少しだけお金を得ていました。イラストが活きた形です。

何より、自由にチャレンジした経験が、LINEスタンプを作るチャレンジに繋がったんだと思います!

なぜ美容師の道へ進んだのか、進めたのか

最初に美容師になると決めた時は、それはもう驚きました!

極度の人見知りの弟が、たくさんの知らない人と関わらなければ成り立たない仕事をする、というんですから、正直心配しまくりました。

彼を動かしたのは、憧れです。

僕の友達が美容師をしており、僕はいつもカットやパーマをお願いしていたのですが

ある日から、弟もカットしてもらうことになりました。

僕の友達の働きぶり、信念を見るうちに、友達に憧れを持ち、美容師になると決めたようです。

弟は不登校になることで、心に正直に生き、突き進む力を身につけたんだ。そう思いました。

不登校が生んだ良いこと

不登校は学校教育を受けませんし、クラスにも行きません。もちろん不利な点はあります。

専門学校で計算が必要になり、「僕、義務教育受けてないから”ひっ算”がよく分かんないんだよね」と苦戦していました。

「あんまり覚えてないけど、小中の同級生に関わるの、苦手」と言っていたこともあります。

ですが正直、この事実って、社会人になってからの長〜い人生にとってほとんど影響ないんですよね。

だって、弟、普通に働いて、普通に楽しそうに暮らしてますもん。

むしろ良いことを言わせてください!

唯一無二の友達ができた

不登校時代。ずっと一緒に過ごした友達がいました。

小4から中3、ずーーーっと同じクラス、しかも4,5人クラスだった、みたいなもんです。

それはそれはもう大親友です。今でも交流があるようです。

なんてったって、同じ苦しさをよく知る仲間です。

普通に学校に通っていたら、ここまでの親友が出来なかったんじゃないかと思います。

人に優しい、仕事に活かしてる

弟は、学校に行かない人を絶対に否定しません。

当たり前に聞こえますか?でも、あなたの周りにそれが心から出来る人はどれくらい居ますか?

そして、不登校の人に寄り添い、アドバイスまで出来る美容師は、どれくらい居ますか?

ほとんどいないでしょう。

彼は自分の苦しかったであろう過去を、優しい素晴らしい武器として働けているんです。

感謝された兄の行動

ここで兄、僕の行動に目を向けます。

母を通してですが、僕は弟に

「兄ちゃんがあぁいう対応してくれてたから救われてたんだと思う」

と言ってもらえました。

その行動とは

不登校を全く気にしない。受け入れる。普通のこととして接する。

です。

正直、意識してやっていたわけではありません。

「まぁ弟が学校行きたくないって言ってるし、そうすればいいんじゃない?別に自分は自分で学校行こうと思って行ってるだけだし」

というスタンスです。

「なんで弟は学校行きたくないの?」「自分でもよく分かんない…」「へぇ」

くらいのもんです。感覚的には「昨日何時に寝たの?」って聞いてるようなもんです。

そんな風に、当たり前に、気にせず過ごしてくれたことに救われた、と言ってくれました。

別に不登校でもいいんです。周りが気にしなければ、誰にも迷惑かけていないんですから。

兄は不登校だった弟を誇りに思い感謝しています

兄、つまり僕は、不登校だった弟を誇りに思います。

そして、そんな「他の人が選ばない道」を生きてくれたことに感謝しています。

「絶対にやらなきゃいけないことって無いんだ」

「人それぞれが色んなことを感じるし、色んな道を選べばいいんだ」

「価値観が広がったし、色んな人がいることを知れて、許容できるようになった」

弟が近くで不登校という道を選んでくれた。それだけで人として成長できたと感じています。

実はそれだけじゃありません。

僕の妻も、元不登校なんですが、付き合い始めたあたりに「実は不登校だったんだよ」と告白してくれました。

とても勇気がいることだったでしょう。

そのとき僕は

「あ、そうなの?へぇー。いつ頃から不登校だったの?」

と返しました。別に普通のことと思ってましたから、普通に返しました。笑

そのことに驚いて、安心感を得たそうです。

「あ、触れにくいとも思われないし、変に気を遣われないし、普通に話せるんだ」と。

結婚に至った理由の1つだと。

弟が不登校でなかったら、今の妻とは結婚できなかったのかもしれません。笑

弟には常に感謝です!!

最後に

弟への思いが強すぎて、少々長くなってしまいました。笑

不登校って、悪いことではないし、良い方にも働きます。

ただの人生の選択の1つです。

みんなが当たり前に行っている学校に、自分は行かない、という大きな大きな決断を、10年生きたか生きてないかの子どもが、頑張って頑張ってしたんです。

個人的には、尊重してあげてほしいと思います。

親からしたら複雑だとは思います。自分もよく「我が子が学校に行かないって言い出したら何て言おう」と妻とよく話します。

結論は「絶対に受け入れる」、なんですけどね。笑

これは僕の意見。あなたの意見も、お子さんの意見も、自由で尊重されていいんだと思います(^^)

それでは!

あなたとあなたの家族が幸せであり続けますように!

ここまで読んでいただきありがとうございました!

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